今年も弘前市禅林街宗徳寺行ってきました。ここのお寺の紅葉が綺麗なのですが、その下見を兼ねて、今日はあの石田三成の次男の墓を訪ねてみました。
石田三成次男は津軽へ落ち石田重成と名乗りますが、その後改名し杉山源吾となり津軽家の家老になりました。その時重成の妹辰姫も津軽へ来ていたのですが、二代藩主の正室となり、その子供が三代藩主信義となります。
関ヶ原のその後的な話を追ってだと思うのですが、最近は杉山源吾の墓を訪ね、寺を訪ねる人も散見されるようです。
またJR東日本のCMに「大人の休日倶楽部」というのがありますが、それでは吉永小百合さんが宗徳寺で座禅をしているんだそうですが、残念ながら私は見たことがありません。
話が長くなりましたが、写真を撮ってきましたので、見て頂きたいと思います。
まずは三門です。あまり大きくはないのですが、何となく古めかしくて時代を感じさせます。
【宗徳寺山門】
三門をくぐり正面が本堂です。昨年紅葉を撮りに行ったとき座禅会の最中でした。私は遠慮しておきます。
【宗徳寺本堂】
この日は紅葉も写真の通りで、まだ少し早いのかなと感じさせられます。紅葉が進めば又撮影に来ようと思います。(昨年の紅葉写真は私のフェースブックにあります)。
【宗徳寺紅葉】
境内に入り自分で捜そうと思いましたが、やはり無理があり庫裏へ行って聞いてみることにします。呼び鈴を押すと住職の奥様が出て来たので、名を名乗り石田三成の次男の墓があると聞き訪ねましたと言うと、すぐに案内して頂けました。行ってみたところ奥の方にあるので、やはり聞かないと解らないなと思いました。
まずは手を合わせ写真を撮らせて下さいとお願いし、撮影に取りかかります。右側が前からあったもので、左側は別場所に保管されてあったものをその後に建立したものだそうです。
【石田三成次男の墓】
碑文の写真です。最初は建立された年号と思われます。寛文十二年と読めます。
【建立年】
次の写真は一部を切り取ったものです。豊臣の字が確認されましたが、全体的には少し字が薄れあまり意味を解せません。単に勉強不足かな。
【碑文の豊臣】
右側の碑の下側にあった、蓮の花の模様です。詳しくは調べておりません。
【蓮の花】
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